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2018.08.06  

熊本地震により崩落してしまった熊本城の石垣の未来

熊本地震により崩落してしまった熊本城の石垣の未来

関ヶ原の戦いの後、1607年に加藤清正によって築城された熊本城。明治時代に勃発した西南戦争の戦場ともなっています。西南戦争によって天守閣本丸御殿が焼失したにも関わらず、石垣の大変はその優美な姿を失う事はありませんでした。大規模な戦争にもビクともしないくらい堅牢な造りだったのです。その戦争にも打ち勝った石垣も自然の脅威には勝つことが出来ませんでした。2016年4月に発生した熊本地震によって、多くの石垣が崩落してしまったのです。石垣の64か所が被害を受けました。石垣全体の約3割です。難攻不落とまで言われたあの熊本城の石垣が…

熊本城の石垣崩壊その一 熊本城の石垣崩壊その二

この崩落した数多の石材は現在どうなっているのでしょうか。もちろん、ゴミとして捨てるはずはありません。歴史的価値のある石垣を形造っていた石材たちなのですから。実は、熊本城近辺の数か所(数十か所かもしれませんが)を石材置き場として石材をそのまま保管しているのです。

石材置き場その一 石材置き場その二

上記の画像は私がランニングをしていた時に、たまたま通りかかった石材置き場を撮影したものです。熊本城から見れば南西側に位置しています。この近辺には3,4か所の石材置き場がありましたが、どの石材置き場にも多数の石材が置かれていました。石材を運び込むだけでもとんでもない労力が必要であることが一瞬で分かるくらいの量です。さらに驚くことに、この1つ1つの石材にはナンバリングがされているのです。

ナンバリングされた石材その一 ナンバリングされた石材その二

1つ1つの石材にナンバリングがされている

これが何を意味するのか。感の良い方ならお分かりになるかもしれません。そう、「1つ1つの石材を石垣のあるべき場所に戻す」為の事前準備です。崩落した全ての石垣を元あった場所に返そうとしているのです。私には途方もない試みとしか思えませんでしたが、熊本よりもはるか北のとあるお城でこの試みが成功しているのです。

そのお城とは、福島県白河市にある小峰城です。この小峰城、東日本大震災で大打撃を受けました。石垣の10か所が崩落し、その崩落した石材の数は約7,000個。しかし、この石垣を大手ゼネコンである鹿島が見事に復旧させました。熊本城の石垣と同様に石材1つ1つにナンバリングを施し、小峰城の様々な画像を参考にし、当時の工法を再現した上で修復したのです。

歴史的な価値の高い建築物であるため、通常よりも繊細な工事が求められます。さらに、東日本大震災前の石垣の画像と崩落した石材を照らし合わせ、「1の石材はココ、2に石材はココ!」という気の遠くなるパズルを完成させなければいけないのです。もう、”さすが”という言葉以外に適切な言葉が見つかりません。しかし、成功事例があるということは非常に心強い。

もちろん、小峰城と熊本城の修復に要する石材の数は全く異なります。熊本城の場合、最大で10万個程度の石材を積み直す必要があると言われています。小峰城の10倍以上の石材です。途方もない数字です。聞くだけでイヤになります。

さらに、熊本城特有の石垣も修復を困難にするかもしれません。熊本城の石垣は通称”武者返し”と呼ばれています。石垣の上に行けば行くほどそり返しがキツく、武士も忍者も引き返してしまう事から武者返しという名前が付いたようです。この急勾配の石垣を再現するもの容易ではないでしょう。

規模も技術もこれまで以上のものを求められることは間違いありません。しかし、何があっても修復をしてもらいたい。もちろん石垣だけではありません。熊本城にある重要文化財建造物13棟全てが被害を受けています。中には全壊してしまった建造物もあります(東十八間櫓及び北十八間櫓)。全てが熊本地震前の状態に復旧するには難しいでしょう。解体した上での復旧も考えなければいけません。それでも、熊本県民は可能な限りの復旧を望んでいるはずです。あんなに美しい名城は滅多にお目にかかれません。西南戦争における西軍の猛攻にも耐え抜いた難攻不落の熊本城。ぜひ、その本来の姿を取り戻して欲しいです。

石材置き場に置いてある石材を見て、本当に少しずつでですが、熊本城の復旧は確実に進んでいると肌身に感じました。熊本県民にも分からないところで、復旧に向けて努力をしている方が大勢いらっしゃることも分かりました。どのような形になるのかは分かりませんが、私もそのお手伝いをしていければなと思っています。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。

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